健康と病気
癒し/治癒
癒し/治癒のコンセプト
これらすべてにおいて、癒し/治癒とは、ビジョンであり、コンセプトであり、そして態度です。
私たちは病気と関連して、思考の狭まりについて話してきました。
それは、思考が完全に遮断された状態であり、もはや自分自身を健康だと考えることを許さず、結果として、病気が私たちの中に作り出す迷宮からの脱出方法を想像することを妨げます。
プラノテラピーはこの点で大きな助けとなります。
なぜなら、エネルギーは「推進力」と「認識力」の両方を持っており、プラノテラピーは、時に精神が私たちに強いる障壁 ─病気の時はなおさらそうですが─ つまり「健康を損ない、日常生活に支障をきたし、自分自身を十分に表現することを妨げる制限から抜け出すための力と知識」を同時にもたらしてくれるからです。
私たちの学校は、癒し/治癒というコンセプトを特徴としています。
私たちは自分たちを「ヒーラー」と呼ぶのには理由があります。
私たちは、病気に焦点を当てる他の多くの学校とは異なり「健康」に焦点を当てており、病理への介入に中心を置くのではなく、癒し/治癒に重点を置いています。
あらゆる医療には確かに治癒力がありますが、実際に治すことができるものはごくわずかです。
再生と復活
私たちの観点から見ると、プラノテラピーは、専門用語で「症状の再現」と呼ばれる、病気そのものが発生した経路を忠実に辿るように、自分自身の精神・生理・病理学的経路を再訪するという経験を一人ひとりに再提案することができるからこそ治癒することができる、癒しの分野なのです。
その目的は、現在の状況を踏まえて、それを改めて再提示することです。
それは、症状への回帰を意味するのではなく、むしろ、「今日の迷宮からの抜け出すための道を指し示す再生─復活への道」であり、その道筋には確かに過去のいくつかの症状も含まれています。
エネルギー的な介入は、その特徴によって、治療を受ける人の成熟を促し、そしてホリスティックな療法としての性質ゆえに、「私たちが健康を失った原因を再検討すること」へ導きます。
これが私たちの癒しの道なのです。
生命のリズム
完全な治癒には、その生命のリズムがあります。
生命の生物学的リズムを尊重しなければなりません。
もし、病気がそれ自体の時間的プロセスの中で進行し発症するのであれば、自然療法で即効性を期待することはできません。
むしろ、一見、有益に見えたとしても、それは自然に逆らったトラウマ的な医療となるでしょう。
そしてその効果は、一時的なものになる可能性が高いです。
急激な回復には注意しましょう。それは金銭感覚のない人に突然大金が舞い込むようなものです。破滅の危険にさらされるのです。
健康な状態への順応
人体は、時間が経つにつれて病気に対して順応してきましたがが、徐々に機能不全が進行し、病気への順応によって病気が定着し、蔓延するようになってしまったのです。
今、私たちは逆に、「健康の豊かさ」に再び慣れなければなりません。
健康は、それを受け入れる準備ができていない環境に突然現れるようなものではありません。
私たちは、体の自然なリズムを改めて尊重し、可能な限りそのリズムを促進させると同時に、何よりも、体が徐々に健康な状態に再び慣れるように促す必要があります。
病気は習慣のようなものです。
習慣を身につけるには時間がかかりますが、失くすにも同じくらいの時間がかかります。
プラノテラピーはすぐに効能を発揮しますが、持続的な効果をもたらすあらゆるプロセスと同様に、完全な回復にはしばしば時間がかかります。
あらゆる可能性と潜在能力の発達、存在全体の再構築
私たちはエネルギー的に他の創造物とつながっており、私たちが作り出すエネルギーフィールドつまりオーラを通して健康状態を改善し、パワーを高め、治癒力を向上し、私たちが持つあらゆる可能性、感覚的、超感覚的、さらには肉体的な可能性すべてを発展させることができるのです。
あるいは、それに屈するかなのです。
健康なオーラを持つということは、「感覚的、超感覚的、そして肉体的な可能性も含め、個人のあらゆる潜在能力を発達させること」を意味します。
癒し/治癒とは、様々な経験の異種混合性、つまり様々な経験を混ぜ合わせること、多様性でもあります。
それは、私たちの中に存在する様々な異なる性質を調和させつつ、(生命の動きを起こす)小さな不均衡を取り戻すことができることを意味します。
さらに言えば、癒し/治癒とは、人間の精神と身体を結びつけ、人間という存在を全体として再構築することでもあります。
