自由意志

人間とスピリチュアリティ

自由意志

人生とは

人生において、私たちは周りの人々や物事が絶えず変化していくのを観察しています。 

人生とは、変容と自己の再生(刷新)です。

これは、人生そのものが絶えず私たちに提示する道です。

たとえ一人ひとりが様々に異なる経路をたどるとしても、人生は「私たちが自分自身が何者であるかを理解し、自分と他の人たちにとって役立つ道を、喜びをもって歩む方法を理解するために至る道程」なのです。

物質的な次元とスピリチュアルな次元

人間は「橋のような生き物」だと言われています。

つまり、人間は橋のように物質的な次元とスピリチュアルな次元を繋ぐことができる存在であり、それはまさに

人間自身の内面で起こっていることなのです。
形の世界では、人間という種は、自分たち以外の他の形態や物理的な存在たち、例えば様々な物体、他の生き物たち、自然界のエレメントなどと絶えず相互作用し、関係を築いています。

この相互作用は、環境と人類の形態そのものの継続的な変化をもたらします。

新しい形態が創造され(人間は物体を造ることができます)、他の存在の変容に協力し(例えば土地を耕したり、動物を飼育したりするなど)、日常生活のあらゆる瞬間を通して、環境に小さな変化がもたらされます。

同様にスピリチュアルな次元においても、人間は、他の非物質的な存在と相互作用し、それらとの間に変容と交換の関係を築きます。

人間のスピリチュアルな作業は、自分自身の部分をつなぎ合わせ、自分自身を完成させるために不可欠です。

自身のスピリチュアルな成長と自分のスピリチュアルな次元の発見は、神聖な次元を目指しつつ個人の経験から強さと方向性を引き出すこのスピリチュアルな作業への、一人ひとりの参加を表しています。

スピリチュアルな探究とイルミネーション

存在の目的とは進化です。

多くのスピリチュアルな流派は、悟り(イルミネーション)の追求を究極の目標と捉えていますが、一度の人生でこの意識状態に到達することは不可能であるとも付け加えています。

魂が進化の計画を実現するには、何度も転生し、様々な経験をする必要があります。

すべてはある人生から次の人生へ記憶がない状態で行われるため、過去の条件づけを避けながら、それぞれの人生で新たな側面を達成することができます。

記憶は、悟り(イルミネーション)とともにやってくるでしょう。

いまは治癒と回復の道筋を見つけることに精一杯の私たちにとって、こういったことは遠いものに感じられるかもしれません。

しかし、人間の真理への探求がいかに多くの道、人生を通して表現されているかを理解するには、このことに注目する価値はあります。

スピリチュアルな探究は、ある特定の人たちだけのものでなく、すべての人間が持つ権利なのです。

人間を他の種と区別するのは、「選択する能力」と「コミュニケーション能力」です。

そして「自由意志を行使する能力」こそが、人間の進化を決定づけます。

人間の魂が自ら望まない限り、いかなる力も人間の自由意志に介入することはできません。

自分自身の本当の望み

今日では、「欲しくない」と思うことは、昔よりもずっと難しくなっています。
私たちは刺激、流行、必需品に囲まれており、慣習、習慣、大衆の嗜好から逃れることは困難です。

最も一般的な病気のひとつが「大衆化」です。

ある者は自覚することなくこの病に苦しみ、ある者は苛立ちとあきらめに耐えています。

それ自体が病気です。

自分自身を愛するということは、日常生活の中で自分自身の道を切り開くことでもあります。

それは、状況や習慣に左右されたり、大きな仕組みの一部に強制的に組み込まれるのではなく、一人ひとりの内側から湧き起こるような強烈な願望、渇望から直接やってくる、様々な物や人との接触、関心、消費、そしてリズム(特にリズムが重要です)といったものから成る道です。

内側から湧き起こる強烈な願望─渇望

私たちは、自分自身の本当の願望、人生に対する望みを、まだ見極めることができるのでしょうか?

私たちは、他人の期待、意見、要求、そして「みんなもそうしているから」という風潮に囲まれた中で、自分たちの本来の目的を見失ってしまってはいないでしょうか?

善人であること、マナーやルールを守ること、政治的に正しい態度、そして行き過ぎた常識の中で、私たちの本当の考えや意図はしばしばぼやけてしまい、それらと自分自身を混同してしまうほどです。

人間らしさを要求しつつも同時に否定する社会において、人間らしさを感じることができないこと。

これこそが、多くの病理の根本原因なのです。

これはまた、急性症状を引き起こさないものの、すべての人の思考の中に絶え間なく煩わしいバックグラウンドノイズを引き起こす、軽度の統合失調症への道でもあります。

私たちは、スピリチュアルな個人の特質としての、選択する能力、つまり自由意志を行使する能力へと立ち返り、抜け出すことのできない行き詰まりから抜け出すのです。

自ら選択し、自ら決断する能力。

たとえそれが周囲の主な傾向─むしろ停滞している動き─に逆行するものであっても、自らの道を見出し、その道を貫き通す能力。

言い換えれば、自由意志とは、「惑星を動かし、種を消滅させるのと同じ力を持つ、小さいながらも重要な生命の表現であること」を理解し、それゆえに「自らの選択によってその力を尊重しようとする者の自由意志」です。