自己管理
都市で、森で、海で呼吸する
病理─汚染と再生プロセスの適切な交換の損失
生命というのは、地球自体がそれを許容する場所であればどこにでも、病理学的かつ生理学的なプロセスを通して、自らを組織化していく傾向があります。
特定の細菌組織が、体のある特定の部位、傷口などに集まり定着するのは、そこに何らかの理由があります。
地球上でも、生命がはじめは小さな集団として広がり、やがて都市へと発展していったという事実にも、同様の理由があります。
観察すると、それらの地域は歴史的にも特に刺激的な地点であり、エネルギー的な観点からも興味深い場所であったことがわかります。
民族学的研究や歴史社会学的な考察が、このことを裏付けるでしょう。
しかし今日、都市は一定の規模を超えると、物事の自然な秩序を乱すため、まるで腫瘍のような存在になってしまっています。
あまりにたくさんの人々が密集し過ぎると、その場所は、汚染のプロセスと、その地域を健全に保つために必要な再生プロセスの適切な交換の時間的速度が損なわれるため、有害なものとなるのです。
それでも、都市のある特定の場所では、誰もが力を取り戻すような感覚を感じることがあります。
それは、その場所がモニュメントなどの建造物があって美しいからというだけでなく、そこに、かすかに感知できるかのような、何らかのエネルギーがやって来るのを感じるからです。
しかし、ほとんどの地域では、その逆のことが起こります。
エネルギーを望ましいものにする「大気」
森、海辺、どこでも、ダイナミックな自然のバランスが保たれている場所では、退廃したエネルギーと新鮮なエネルギー間のエコロジカルな交換のメカニズムが保たれています。
何も生み出されず、何も破壊されず、すべてが変容するのです!
サトルなエネルギー的な汚染は、「既存のエネルギーを変換できないこと」から生じます。
これは都市における問題であり、「人間をはじめとする多くの生命体が交換と変容のクリーンなプロセスを引き起こすことができないこと」に起因しています。
一方、田舎のエネルギーは、体験の蓄積という点からするとそれほど豊かではなく、ある意味洗練されていないかもしれません。
しかし、その地域に介在する「大気」の作用は空気を常に豊かにし、その結果、エネルギーを望ましいもの、即座に利用可能なものにしてくれます。
「自由な」風、太陽、雨が存在する地域に居ることは、―これらは都市にも存在しますが、その表現力は人間がも持ち込んだ建築物や素材に制約されています― エネルギーの観点から、間違いなくその地域を豊かにします。
地域の豊かさは、動物、植物といった狭義の自然の現れだけでなく、何よりも空気、水、土、火といったエレメントがどれだけその地域に浸透しているかにかかっています。
温泉のような療養地が豊かなのは、特定のエレメント(この場合は火)が強く存在しているからではなく、同時に他のエレメント達もバランスよく存在しているからです。
