健康と病気
病気
病気とは何か
病気は、時に、個人の内面やその人の生活環境の中に依然として存在する不調和な側面が、変化への必要な転換点として、ポジティブな形で現れたものであったりします。
したがって病気とは、その発生を直接説明する偶発的な要因を超えて理解されるべき、あるいは少なくとも受け入れられべき、的確な動機を持った好機とも言えます。
「治療とは症状を取り除くことである」と決して考えるべきではないのと同様に、「病気とはそのより根底にある不調和の兆しである」と考えることを学ばなければなりません。
人は皆、自らの行動を通して絶えず関係性を築き上げていますが、その行動が影や不完全さ、不調和を生み出した場合、それらは結局、それを生み出した本人に制限という形で反映されることになります。
そうして生み出された印象、つまりネガティブな陰影は、その人に刻み込まれ、深い痕跡を残し、やがて時を経て、さらなる不調和、つまり病気という形で体現化されることになります。
生体内部に由来する病気であれ、外部のウイルスに感染することによって引き起こされる病気であれ、いずれの場合も、それは常に個人の内面における不調和に対応する形で現れます。
病気の周波数
罪悪感は、最悪の病気だと言われています。これほど真実なことはありません。
病気を引き起こす原因と原理に関する知識は、人生のあらゆる側面へと広がり、個人は病気とそれに伴う困難をある種の代償行為として、あるいは自己の側面を理解し改善する機会として、捉えることができるようにます。
したがって、スピリチュアルな探求の道において、病気、治療、そして健康といった概念は新たな意味を帯びる要素となり、個人はこのような道筋がもたらす現実と生のビジョンの中で、自分を形作る新たな定義と態度を養うことが要求されます。
病気は、身体的、精神的、感情的、そしてスピリチュアルな不調の状態として、人間の外にある状態です。
つまり、病気は、人間の本質、人間の本来の構成要素の一部ではありません。
病気とは、外部からやってくる周波数、存在の状態であり、様々な形で、個人のサトルな構造と肉体に浸透し、それらを汚染します。
病気は、不調和が体内に入り込み、放射され、あらゆる側面に影響を及ぼす兆候です。
病気は、自然に内在する根源的なポジティブな周波数を変化させる周波数です。
しかし、人は、病気を自分とは別の異質なものであると捉えながらも、病気を拒絶することはできません。
病気は自分とは別のものでありながらも、同時に共生関係にあり、病気から解放されるためには、病気を尊重し、そのメッセージを理解し、実践しなければなりません。
そして、その時点で、人は前に進み、癒されるのです。
その人の人生において病気が中心的な位置を占める時、それはこの破壊的な周波数が、根源的なポジティブさを凌駕していることを如実に示します。
病気がもたらす機会
一方で、病気の発症は、スピリチュアルな視点から見ると、個人が自らの本質に気づく機会となります。
それは、苦しみの中で、人間としてのポジティブで生命力に満ちた側面との新たなつながりを知覚し、直感し、見出すことができる機会なのです。
それは、これまでその存在を無視されてきた、あるいは知られていなかった、さらに悪いことに見過ごされてきた、自分自身の一部を認識することを学ぶ機会です。
病気は常に、存在の均衡状態を破壊するものであり、進化のチャンスでもあります。
バランスとはそれが動的な時にのみ存在します。そしてそれが崩れるということは、真のバランスが本当は取れていなかったということなのです。
外部からの汚染によって、自然の明るい側面が覆い尽くされていくにつれて、それに対抗する形で新たな状態を求める欲求が生まれることがあります。
再生への欲求から、人は、再構成、本質の浄化、本来の人間の周波数の探求へとつながる糸が湧き上がるのを感じることができるのです。
これは浄化の道であり、真の再生の道であり、常に不健康な状態から生じるのです。
苦しんでいる人が自発的に新たな道を求めるとき、その道の途中で、スピリチュアルな癒し、ヒーラー、あるいは偶然という大海に蒔かれたシンクロニシティの種を見つけるかもしれません。
