健康と病気
健康
真の健康と存在の感覚
真の健康、心身ともに健全な状態の実現は、「公正で≪神聖な≫ルールによって統治されている世界に生きている」ということが確証されることでもあります。
それは、異質なものが疎外されたり罰せられたりする世界とは対極にある、親密さでつながっており、多様性が尊重され、異なる考えや対立を統合し、より高い次元の理解と解決を導き出すような構造でできている世界です。
健康とは、一般的に考えられている以上に集団的な現象であり、個人的なのものではありません。
実際、一個人の健康などというものは存在しません。
なぜなら、私たちが健康について話そうとするとき、必然的に、生命、そして生命を観察する形態について改めて触れるからです。
人間は、社会的に群れをなす哺乳類であり、本質的に、私たちはこの群居性という形態・枠組みの中で、自らの存在の意味、一貫性を見出す個体なのです。
私たちはそのような存在であり、そして自分自身を「生命がもたらすあらゆる現象を体現することができる集団の一部である」と認識しているとき、私たちは健康なのです。
誰もが自分の人生を表現しながら、環境から必然的にもたらされる反応、フィードバック、存在の感覚を探し求めています。
この反応、つまり反響の一部は、無生物から、そして一部は自分自身に似た生物から生じます。
もし、反響、つまりこの反応が失われると、特定の受容体が必然的に弱まり始め、ストレスが生じます。
時が経つにつれて、このストレスは不調和を引き起こし、やがて病理へと発展します。
ストレスが、人生にとってのポジティブな刺激、つまり心理学では«ユーストレス»と呼ばれる、ストレス自体のポジティブな側面によってバランスが取られない限り、このような(病んだ)状況は起こりません。
本質的に、私たち一人ひとりが追求する絶え間ない探求は、私たちが集団の中で生きるときにバランスのポイントを見つけます。
その集団は私たちを認め、それぞれの役割を割り当て、肯定的なフィードバックを返してくれます。
私たちはそのフィードバックを基に、合意形成の論理に従って、自分たちの存在意義の方向性を築き上げていきます。
全体との関係性
要するに、健康とは個人のものではありません。
個人の健康は、無意味です。
大宇宙と小宇宙の関係において、細胞の健康はその細胞を含む生物全体の健康の一部なのです。
私たちは集団であり、個人です。
私たちの中には集団があり、私たちの外には他の個体を含む集団が存在します。
私たちの中には生命に関する知性があり、それが私たちの中に構造化されており、個々の器官や主要なシステムを生み出しているからです。
私たちの中には集団があります。
なぜなら、私たちの中には生命に関する知性があり、それが私たちの中に構造化されており、個々の器官や主要なシステムを生み出しているからです。
集団は私たちの外側にも存在します。
なぜなら、その集団は同じように環境と関係を持ち、その環境が大きな感情的な構造を構築し、その構造が、情緒的なレベル、知的なレベル、知識や芸術表現のレベル、そしてスピリチュアルなレベルで私たちに応答するからです。
健康は、ひとつの集団的善として、≪関係的な≫なものとして、治癒のプロセスそのものの中で考慮されるべきです。
自己表現能力
現代人は、病気を定義することに大きな関心を寄せる一方で、健康を定義することにはあまり力を入れていません。
私たちの見解では、健康というコンセプトは、「個人のマクロな機能の中で展開するグローバルな概念」であることに加え、もうひとつの重要な側面、すなわち「自己を完全に表現する能力」と結びついています。
機能障害や心身障害を超えて、「自己を完全に表現できるとき」、その個人は、健康です。
自分自身の一部が自己を表現できなくなると、人生のリズム、つまり主観的な日常生活のリズムが乱れ、その時点で病のプロセスが始まります。
したがって、治癒とは、私たち一人ひとりが自己を十分に表現する能力、つまり一種の継続的な自己発達を経験できるようにする一連の作戦計画、スキル、そして刺激なのです。
集団の科学としての健康
「均衡」「調整」「バランス」といった似たような言葉がありますが、真のバランス、調和と、一見似ているように見えて実際には正反対の性質について、その違いを理解していることは役に立ちます。
≪均衡 ≫ではなく≪発展≫が重要であることを、力説します。
自然界には均衡という概念は存在しません。
むしろ、常に動的なプロセスが存在します。
私たちが通過する唯一の均衡点は、生と死を分ける点、つまりある種の均衡とみなせる静止の瞬間です。
思考から始まるものすべて ─歩くという動作はその明確な一例です─ が、不均衡の上に成り立っています。
行動は常に不均衡であり、それは最終的にすべての生命を生み出す化学的な不均衡から始まります。
健康は、宇宙の調和のメカニズムに従います。
その調和とは、この不均衡さ、つまり動的な生命の絶え間ない進化発展のプロセス、自分自身と周りのあらゆる環境とコミュニケーションし、統合へ向かおうとする動きの中にあります。
人間は、自らが媒介するこの偉大なスピリチュアルな生態系の結果を解釈するための明確な枠組みを持つ、一種の橋渡し的な存在と見ることができます。
繰り返しますが、人間は社会的な哺乳類であり、自分の経験領域を持つ存在です。
健康とは、「私たちがどのように共に生きるかを理解し合い、どのように社会全体に溶け込み自己を表現し関係を築くかを包括する、集団の科学」です。
病気を治すには、自分自身との関係に向き合うだけでなく、「世界との関係のプロセスの発展」についても向き合う必要があります。
それには、病気を個人的な内面的な問題として扱うのと同じくらいの注意と意欲もって、取り組むことです。
