プラノテラピーと自然療法
健康であることの喜び
なぜ、健康が大切なのか?
健康は、幸せに生きるための基本的な重要な要素です。
この人生でやりたいこと、実現したいことがあったなら、病気でいるよりも健康でいる方が、より望ましいでしょう。
健康な時と、病気の時では、感情も変わります。
もし、病気になったら、どれだけのことができるのでしょう?
もし、心身の調子が悪かったり、病気で苦しんでいたとしたら、あなたは、どこに行き、誰と一緒に、何をすることができるのでしょうか?
どのように自分がやりたいことをしたり、人生で活躍することができるでしょうか?
自分が癒しを求めている状態だとしたら、あなたはどうやって隣人を助けることができるのでしょうか?
健康で元気で常に生きるエネルギーに満ち溢れていたなら、私たちはあらゆることを満ち足りた状態ですることができます。占星術で見てみると、誰もが生まれながらに持ってきたその人だけの才能、可能性、豊かで幸せな未来がホロスコープに表れています。
しかし、どんなに素晴らしい可能性があったとしても、健康がなければ実現不可能なことがたくさんあるのです。
健康があってこそ、私たちは人生の流れの中で、積極的に、ポジティブに、強く、そして心穏やかに存在し続けることができるのです。
健康になるために必要な選択
今日では、健康になるための様々な選択肢があります。
公的医療、投薬、漢方、鍼灸、レイキなど・・・。
自分自身を癒し、健康になるためには、適切な選択をする必要があります。
その選択とは、「人間一人ひとりのを構成するあらゆる人格、さまざまな機能、そして身体のあらゆる部分すべてを考慮に入れた選択」です。
重要なのは、「どうやって病気を治すか」ではなく、「どうやって健康になるか」という選択です。
私たちはあなたの意識、注意を、病気ではなく「健康であることの喜び」の方へと向けさせたいのです。
健康というのが、私たちが自分自身の人生を完全にまっとうするために必要な条件であり、望みであり、その鍵であるならば、「自分自身の健康を探求し、健康を育むこと」は、自分自身と周に対する、愛の行為になります。
私たち一人ひとりは、私たち自身にとっての最もすばらしい豊かな資本であり、あたたかさや気遣い、尊重、そしてケアを受けるにふさわしい最初の源泉なのです。
自分自身を大切にすること、愛することを学ぶ人は身体も健康になり、人に与え、そして人からも愛されるようになります。そして、自分自身を表現し、人を自分の中に迎え入れることができるようになります。
医者、カウンセラー、セラピスト、占い師、ヒーラー、祈祷師に相談しようとする前に、まず、自分自身に問いかけてみてください。
自分を愛し、自分自身にとっての最善を願い、最高の自分自身を表現することを望む人間。
自分自身の完璧な身体的・精神的・霊的な調和、社会や周囲との調和を望む人間。
自分自身がこのような人間であるという感覚で、あなた自身の健康について、真剣に考えてみてください。
健康から生じる喜びとは、愛に満ちた親交、そして私たちを構成している世界を発見することです。
私たちを構成している世界とは
・私たちの中(肉体だと臓器)に宿っており、交代で表れ、意識の状態に応じて私たちをガイドする、様々な人格。
・血液、神経、体内を様々な流れるエネルギー。
・私たちを形作っている様々な体。物質的な身体(肉体)から、物質を持たないにもかかわらず確かに実体があるオーラのようなエネルギーの体。
・私たちの魂の内なる広大さ、私たちの願望、経験、他の生命体への感受性、他者と関わる能力。
これらすべてが、私たちの健康を構成する側面なのです。
これらすべてを大切にすることに、喜びを感じましょう。
そしてその満足感を自分自身に与えましょう。
プラノテラピーと自然
プラノテラピーは、あらゆる健康への介入方法の中でも、最も優れたものだと言えます。
なぜなら、人間を自然へと近づけ、人間が自然の一部であるということを実感できる状態へと戻してくれるからです。
プラノテラピーは、人間が求め、望み、心惹かれる自然のプロセスを統合したものです。
自然は私たちに四季の移り変わり、豊かさ、恵みもたらしてくれますが、厳しさや激しさも見せてくれます。
嵐、台風、雷、吹雪、火山の爆発、自然とはアグレッシブな様相を見せています。
自然界の中では、大きいものが小さいものを食べます。そのようにして生命は連鎖しています。
時にはそれがとても強烈で攻撃的な現象に見えたりします。
しかし、そこには、何百万年にもわたる進化の産物であるこの生命体の存在を支えている、自然の法則があり、その出来事の自然さというものに関わっているのです。
プラノテラピーは、人類を守るこのプロセスに私たちを近づけることのできる、まさに卓越したセラピーなのです。
人間の根源的な感情/感覚
人間の中にも、この自然でアグレッシブな衝動があります。
人は、森や川辺に出かけたり、山に登ったり、海に潜ったりします。
森を歩き、川のせせらぎを感じ、星を眺め、鳥たちのさえずりを聴きます。
木の実や山菜を取ったり、昆虫や植物を採取したり、釣りをしたり、狩猟したりします。
自然と触れ合いたいと思うのは、人間の根源的な感情/感覚なのです。
これらの深い感情/感覚は、自然、環境とのつながり通して生きていることを実感したいという切実な欲求であり、人間がみな経験するものです。
これらの感情/感覚は、私たちの完全な状態、全体性の一部です。
そのため、自然、環境との関わりというのは、私たちがお互いに尊重し合いながら、調和的に行われるべきものです。
大切なことは、常に生命の尊厳が守られているということなのです。
私たちがこの深い根源的な欲求を満たし続けることができなければ、その不和はどこかで必ず表現されることになります。
そして、それが人間の関係性の中に、不適切な形で反映されて表れることになります。
その不調和は、私たちの全体性の一部である家族、パートナーや子供、ペット、その他の関わりのある人々、土地、家、そして最終的には自分自身の他の部分を攻撃してしまうことになります。
プラノテラピーは、この深い感情/感覚を、私たち人間と人間、私たちと自然、私たち人間とあらゆる生命との間に、架け橋として、洗練された形で、調和的にもたらします。
プラノテラピーは、まず私たちを解毒します。これは、常に自然の最初の働きかけです。
そして解毒した後、私たちを調和のとれた感情/感覚の状態へと戻していきます。
プラノテラピーは私たち人間一人ひとりの構造の一部であるこれらの感情/感覚を満たし、バランスを整え、中心へと戻すのです。
なぜなら、これらの感情/感覚は、正直に満たされるべきものだからです。
プラノテラピーは単なるセラピーの一形態ではなく、人間を、真の意味での内なる探求、スピリチュアルな探求、そして今も昔も変わらずすべての人間が常に感じている最も深い感情/感覚へと、再びつなげます。
