自然医学と「人間の全体性」

プラノテラピーと自然療法

自然医学と「人間の全体性」

治療において重要な「人間存在」

「自然療法」というカテゴリー「民間療法」「伝統医学」「代替医療」というものは、古代に起源を持つものです。

その共通項としてあるのは第一に、「合成医薬品や外科的処置を機械的に使用すること」に対しての拒否にあります。
この拒否というのは、無条件に拒絶する否定ではなく、哲学的なものです。

自然医学というのは、病気から健康へのプロセス、つまり個人が主人公となる治癒の旅について語ります。

侵襲的治療、薬物療法、外科的介入といったものは、ある意味「自分の健康をそれに委ねる」という原則に基づくため、その点で、自然医学とはそのスタンスが異なります。

ここで言う「自然」という用語は、医療を分類するカテゴリーというよりも、どちらかと言えば、「態度、生き方、人生に対する考え方」を定義しています。

漢方医、ハーバリストやホメオパシー療法士なども、ある意味では治療のための薬を投与しますが、それは患者がより深く関与するプロセスを経た上で、最終的な段階で行います。

しかし、合成医薬品を否定するという点は、自然療法を定義する際の基本的な特徴を捉えてはいるものの、それだけでは不十分です。

治療において重要な要素は、人間です。
すなわち、広義の意味で理解される「人間存在」です。

スピリチュルな健康

何世紀にもわたり、西洋医学は「専門化」と「特定の部分の分析」という道を歩んできました。
それは、全体という文脈からそれぞれを切り離すことを意味します。

さらに、対症療法は、細胞の構造から始まり、身体の器官に関する非常に深い知識へと導く道です。

しかし、それは一つの方法であり、一度受け入れられると、ポジティブ、ネガティブの両面で、最も極端な結果に至らざるを得ない方法です。

自然療法はそれとは反対に、個人を全体的にとらえ、その人自身だけでなく、その人の生きる世界、環境、習慣なども考慮に入れた、広い枠組みで見る傾向があります。

個人を特定の病気に罹患した患者としてだけではなく、様々な分野を統合し、有機的、精神的、感情的な要素から成る人間して観察します。

今日、人間の身体に関する知識は非常に深いものとなっており、その功績は間違いなく医学的研究の科学的な性質によるものです。そして、適用される技術は極めて高度な成果をもたらしています。

だからこそ、私たちはなおさら、「人間をより良く治療する方法」を自分に改めて問いたいのです。

もちろん、私たちが語っている健康というのは、感染症、ワクチン、予防接種といったことだけではありません。
それは、個人と社会生活の質にとって不可欠な資産である、身体的、精神的、そしてスピリチュアルな健康を出発点とした健康のことです。